「あっつーい……」
 
 珠紀は、流れる汗を拭きながらそう呟いた。

 四方を山に囲まれた季封村は、夏の到来が遅かった。それとも、今年だけがそうなのか。それは珠紀にはわからない。
 けれど、この村で初めて迎えた夏は間違いなく遅かった。
 6月には衣替えの季節となったが半袖の制服を着るには寒く感じ、7月に入っても木々を揺らす風はまだ涼やかなものだった。
 アスファルトの道が熱を発する都会で育った珠紀にとって、ここはまさに避暑地。
 特別暑がりというわけではないが、人並みに暑いのが苦手な彼女は今年からは快適な夏を過ごせると喜んでいた。
 ……喜んでいた、はずだった。

 涼しかったのは7月まで。
 8月に入ると、急に蝉の声があちらことらから聞こえ始めた。
 それはあっという間に広がり、昼間ともなれば蝉の大合唱で耳が痛くなりそうなほどにもなる。
 さすが、山の中の村だ。木が多ければ、それに止まる蝉の数も半端ではない。
 それと同時に、気温が急上昇を始める。
 半袖で快適に過ごせると踏んでいた夏は、もうすでに夢と消え果た。
 珠紀は、6月の衣替えの時期に母から送ってもらった荷物を出さなければいけない羽目になる。
 夏物、と書かれた段ボールを開けると昨年まで来ていた服がぎっしりと詰まっていた。
 
「もうこれ、向こうじゃ流行遅れなんだろうな……」
 
 ぶつぶつ呟きながら、2ヶ月遅れの箪笥の入れ替えを始めたのだった。
 今年の流行はわからない。
 何せ、宇賀谷家にはテレビがないし、村に唯一ある本屋にもファッション雑誌など売っている様子はないのだ。
 まあ、流行がわかった所でそれを売る店がないのだからどうしようもないのだけれど。

「とりあえず、この村では誰も気にしないだろうし」

 珠紀は苦笑しながら、箪笥の中に移し変えた服を一枚取り出した、その時。

 「たーまきー」

 がらがらがら。
 
 蝉の音と共に、玄関の開く音が聞こえた。
 チャイムを押さずに名前を呼びながら入ってくる動作は、小学生と一緒だ。

「見かけどおりの行動するんだもんなー」

 本人が聞いたら激怒するような言葉を呟きながら、珠紀は「今行きます」と返事をした。
 さっさと着替えて出なければ、この部屋まで乱入されかねない。
 鴉取真弘と書いて、傍若無人と読むのだ。



「真弘先輩、お待たせしました」
「おう。おまえ、いい度胸だな。この鴉取真弘先輩さまを待たせるなんざ、百年はや――……」
「? 先輩?」

 パタパタと小走りに玄関まで来た珠紀を見て、来客者である真弘は固まっていた。
 ぽかんと口を開けこちらを見ている様子は、いつもの顔とは違いあどけない。
 何かおかしいところでもあったのだろうか。
 珠紀は、自分の顔をぺたぺたと触ってみる。
 顔はちゃんと洗ったし、朝ごはんの後の歯磨きの時にきちんと鏡でチェックもした。歯磨き粉は付いていないはずだ。
 それなのに、何でそんな顔をしているのだろう。
 珠紀が首を傾げた瞬間。

「おまえ何て格好してんだ、このバカっっ!」

 タオルを、投げられた。

「何て格好って……え、え?」

 珠紀は慌てて自分の格好を見下ろした。
 何もおかしなところはなかったはずだ。
 上はキャミを重ね着し、下はデニムのミニスカート。至ってシンプルな服装のはずだ。
 
「その腕と足を隠せぇぇぇぇっ!」

 それなのに、真弘はそう叫ぶのだった。

「え、ええ!?」







 「……………」
 
 蝉の声はまだうるさい。みんみんと言うよりわんわんと聞こえるのは気のせいだけではないだろう。
 その中で、珠紀は黙っていた。
 宇賀谷家にはエアコンはない。あるのはレトロな扇風機のみ。首を振るだけマシと思わなければいけないだろう。
 一番風通しの良い部屋で扇風機を回しながら、真弘と珠紀は黙っていた。
 
「…………」
「…………」

 はぁ。
 溜息が漏れる。先に沈黙を破ったのは真弘だった。

「着替える気はねぇのかよ」
「……何で着替えないといけないんですか」

 クーラーもない家で、暑い格好など出来るわけがない。そう訴えるのに、真弘は聞く耳を持たないのだ。
 ここが田舎だから、キャミとミニスカートと生足が珍しいのだろうか。
 そう思ったが、今朝美鶴と会った時にはそんな反応はされなかった。彼女はただ「涼しそうで良いですね」と笑うだけだった。おかしいなどとは言われていない。
 祖母静紀とも顔を合わせたが、特に咎められはしなかった。
 この村でもキャミは珍しくないのだろうと判断する。
 スカートに至っては、普段の制服のスカート丈と変わらないではないか。
 それなのに、何故真弘が怒るのかが理解出来なかった。

「そんなはしたない格好しやがって……」
「はしたない……」
 
 ぽかんと口が開いてしまう。
 祖母に言われるのならば分かる。祖母でも言わない台詞を、何故真弘に言われないといけないのか。
 それに宇賀谷家と違い、真弘の家にはテレビがあるはずだ。
 テレビの中にはキャミを着た女の子などたくさん出ていて、こんな格好が珍しくないを知らせているはずなのに。
 こんな程度ではしたないって言われてたら、見せブラとか見せパンとかした日には何て言われるんだろう。破廉恥ぐらい出てくるだろうか。
 そんな格好をする気はさらさらないが、あまりのショックで関係のない事まで考えてしまう。
 
「これぐらい普通なのに……」

 口を尖らせてそう言うと、また一つ溜息をつかれた。
 
「……とにかく、やめろ」
「だってこの家、暑いんですよ?」
「美鶴もババ様も着物じゃねぇか。それに比べりゃマシだろうが」

 ぐ、と言葉に詰まる。
 確かに、美鶴も静紀もこの暑さの中毎日着物だ。いくら夏用の着物でも洋服の数倍は暑いだろう。それでも二人が汗をかいているのを見たことがない。
 
「……あの二人は特別だと思うんですけど……」

 悔し紛れに呟いた言葉は、案の定無視される。その態度に、今度は珠紀の方が溜息を付いた。
 夏が過ぎれば、珠紀が季封村に来てから1年になる。その間に見てきた同級生や若者のファッションは、最先端のものとまではいかないにしても、そこまでおかしなものはない。ある程度は現代のファッションだと思う。
 そうでなければ、学校の制服だって膝下のスカートに三つ折ソックスだったはずだ。
 今まで涼しかったからわからなかったが、きっと暑くなればキャミを着た女の子は出現するはずだ。ミニスカートの子は今までだって見てきている。
 
「……真弘先輩……?」

 いくら説明しても、真弘の顔が晴れることはない。
 さすがにここまで意固地になられては、珠紀の我慢も限界だった。

「……もういいです。別に私がどんな服を着ようと先輩に迷惑かけるわけじゃないし」

 ぷいっと顔を逸らし立ち上がる。
 これ以上真弘に何を言っても無駄だろう。頑固な上に自分の意見は少しも間違っていると思わないのが彼の性格なのだから。

「待てよ!」

 部屋を出ようとする珠紀の腕を真弘が掴んだ。
 その力の強さに珠紀は眉を寄せる。
 
「せ、先輩、痛い……」
「おまえ、そんな格好でどこ行く気だ」
「どこって別に……」
「おまえの腕や足なんか、他の男に見せられねぇんだよ!」

 真弘はそう叫び、立ち上がったままの珠紀を力任せに引っ張った。
 倒れこむ珠紀をそのまま抱きしめ、腕の中で拘束する。
 唐突な出来事に、珠紀は目を見開いた。夏の温度と湿度に温められた空気が更に濃くなる。
 剥き出しの素肌が触れ合い、更に温度を上げていく。
 
「ま、ひろ……先輩……」

 呟く声に答えるように、抱きしめる手が強くなる。
 蝉の声はもう聞こえない。聞こえるのはすぐ近くで聞こえる真弘の吐息と、少し早い鼓動の音。
 隙間なくくっついた素肌から、真弘の汗の匂いがする。
 
「……他の男に、見せるな……」

 胡坐をかいた上に抱きかかえられた形の珠紀は、その苦しそうな声を頭のすぐ上で聞いた。
 真弘の顔は見えないが、その声音で彼の表情が想像出来る。
 他の男に見せるな。
 その言葉を反芻すると、珠紀の顔が熱くなった。それと比例するように頭の中の温度は下がっていくようだった。
 冷えるのではなく、温かな春の空気に変わっていくように。
 
「真弘先輩……」

 それって、嫉妬ですか?
 聞きたい言葉は何とか飲み込む。こんな事を言ってしまっては、また機嫌を損ねかねない。
 その代わりに、珠紀は自分を抱きしめる腕にきゅっと縋り付いた。小さな体に不似合いな、その筋肉質な腕は自分を守るためだけにある。
 自分を守ってくれる、大事な守護者。自分を大切にしてくれる、大事な恋人。
 珠紀は、溜息をついた。
 好きになったのは、自分も同じ。大事な彼のこんな切ない言葉を聞いてしまえば、もう何も言えない。
 夏の暑さぐらいは我慢出来る。

「……キャミだけは、やめておきます……」

 それでも不承不承といった感じになったのは仕方がないだろう。
 照れ隠しなのか、真弘も怒ったように「おう」と呟き、ようやく腕の力を緩めた。
 そっと上を伺うと、珠紀と同じように赤く染まった顔の真弘が見える。
 くすりと小さく笑うと、ぎろりと睨まれた。それも照れ隠しの一部だと思うと笑いは深くなる。
 くすくすと笑い声を漏らす珠紀を黙らせるように、真弘の唇が彼女の唇をそっと塞いだ。
 少し湿った唇は、怒った表情とは裏腹に優しい。啄ばむような口付けを受け、珠紀は唇を合わせたまま笑い続けた。
 口付けが深くなったのは、言うまでもない。






「おまえ、暑くないのか?」
 
 うんざりとした顔で、拓磨が問う。
 珠紀は汗を拭いながら、何とか頷いた。いや、暑いに決まっているのだが、そう答えられるはずもない。
 あの日以来、珠紀は肌を露出していない。極力、肌を出さない格好を心がけている。
 ――美鶴や静紀を見習って。
 しかし、流石に着物は暑すぎるので、浴衣を着用した。それでも、言ってみれば長袖ロングタイトスカートを着ているようなものだ。
 暑くてかなわない。
 
「……早く、新学期がこないかな……」

 半袖の制服が懐かしい。
 遠くを見つめ疲れたように笑う珠紀に、拓磨は呟いた。

「……ご愁傷様」

 













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Intense Heat